映画「スイス・アーミー・マン」
この映画、一言で例えるならば「オナラ」
今回は2017年日本公開の映画「スイス・アーミー・マン」について書いていきます。
ネタバレがありますのでご注意ください。
どんな作品なのか?
無人島で自殺寸前の男が浜に流れ着いた死体を発見する。その死体を駆使して人間社会への復帰を目指す。といった作品です。
上の画像を見れば分かるかと思いますが、この作品ブッとんでいます。
この作品のタイトルはスイス・アーミーナイフ、いわゆる十徳ナイフに由来します。関係のない話ですが、十徳ナイフと聞くと、それが原因で書類送検された友人を思い出します。
タイトル通りにこの作品内では、マン(死体)が十徳ナイフの如く様々な用途で大活躍します。だからスイス・アーミー・マン。
そして活用方法がマジにブッとんでる。ボート。水筒。空気銃。火起こし機etc...
人間(死体)ってすげー
ハリー・ポッター(ダニエル・ラドクリフ)が死体役ってだけで可笑しいのに、開幕のボートで可笑しさ全開です。
ボートになるダニエル・ラドクリフ(予告編の1分27秒より)
水筒になるダニエル・ラドクリフ(予告編の43秒より)
これだけ聞くとダニエル・ラドクリフを使ってサバイバルする、おバカ映画かと思ってしまうかも知れませんが、それは誤りです。しっかりとしたストーリーが根底に敷かれた上でのおバカサバイバルなのです。
屁が解放するのは臭気だけではない
記事の冒頭でも書いていますが、この映画はオナラが大きな役割を果たしていると僕は考えました。
主人公のハンクは映画冒頭で死体のオナラで救われます。これは精神的な解放では無く肉体的な解放です。死体のケツから出るオナラを原動力にした死体ボートでハンクは無人島を脱出し、人気の無い森に流れ着きます。(厳密には腐敗ガスで通常のオナラではないのかも知れませんが、ケツから放出されているのでオナラとみなします)
これにより、ハンクは肉体的、物理的に迫り来る死の気配から解放されます。(自殺しようとしていたので自分から死に近づいてはいましたが……)
中盤ではハンクと死体との想像上の会話が繰り広げるのですが、そこでハンクの人柄が露わになります。ハンクは人間社会で抑圧されていました。バスで素敵な女性を見かけても声をかけることができない。人前でオナラをすることもできない。(当たり前のことですが)
一方で死体のメニーはそれができた。実際には死体でメニーは存在しません。つまり、メニーは現実では発散できない抑圧されたハンクのエス(イド)の象徴なのです。死体との旅を通じてハンクは自分を見つめ直すことになります。
そして終盤、人里へとたどりついたハンクはエスを解放します。
そう、人前で放屁するのです。そして言ってやるのです「僕がやった」と。
ハンクの成長を見届けたメニーは、オナラジェットで波をかき分け大海へと旅立ちエンドです。
これが「スイス・アーミー・マン」
オナラで始まり、オナラで終わる。
見終わった後、不思議な気持ちに包まれました。決して綺麗な作品ではなかった。言葉にするのは難しい。だがあえて言おう。この作品はオナラであると。
気になった方は是非見てください。Netflixなら見ることができます。初回一ヶ月は無料なのでオススメです。