多趣味な男のブログ

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宇宙規模のヒーロー「サノス」

 今回はMCUに登場する最強の男、サノスについて書いていきます。MCUを知らない人、知っている人のどちらもサノスとは一体どんな人物で何を考えているのか分かるように書いていきたいと思います。

※「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」「アベンジャーズ/エンドゲーム」のネタバレを含みます。

※原作コミックを読んだことがないので、映画版サノスについての記事になります。

 

 

サノスとは

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 MCUにおいて、全ての黒幕として描かれているキャラです。

 サノスはインフィニティ・ストーンと呼ばれる6つの石を探しています。彼の目的は、ストーンを使って宇宙全体のバランスを保つことです。そのためにストーンを探し求めています。

 地球にあるストーンを得るために、何度か地球に軍勢を送り込んだりしたことからMCUにおけるラスボスといってもいいです。その力は強大で、ストーンを使わずともハルクを倒すほどの実力を備えています。

 ストーンを得るために多くの人を殺したりするなど、彼の行動だけ見れば完全に敵役のそれです。おまけに悪人面。

 しかし、IW*1を見た後、「サノス許せん! 悪は滅ぶべき!」と思った方は意外にも少ないです。それはIWでサノスが第二の主人公のように描かれていたこともあります。ですが、一番の要因は心の片隅で「サノスの考えも分からなくはない」と思っているからだと思います。

 

 

信念の男サノス

 サノスの信念とは「宇宙全体のバランスを保つこと」であり、彼はこの信念に基づいて行動しています。彼はその目的を達成するための手段として、宇宙全体の生命を半分にしようとしています。アベンジャーズ含むヒーローたちは、それを止めるべくサノスと対峙します。

 ここで注目すべきなのは、アベンジャーズたちヒーローの行動理念です。

 アイアンマンをはじめとした面々は、サノスが地球に攻めてきた事で、人類を守るためにサノスと戦うことになります。彼らの考えている守る対象とは人類。すなわち地球の事なのです。

 一方でサノスは惑星単位ではなく宇宙全体のバランス、平和を求めています。サノスとヒーローとでは、考えている次元が違うのです。

 平和のために各惑星の人口が半分になるのは仕方のないこと。必要な犠牲だとサノスは言います。ここがヒーローとは大きく異なります。アベンジャーズたちヒーローは、犠牲を許しません。全てを救おうとするのです。言うなればサノスは物質的な幸福を求め、ヒーローは精神的な幸福を求めています。

 大いなる目的のためならサノスはどんな犠牲も厭いません。彼は大義のため、愛する娘ガモーラさえも犠牲にします。全ては全宇宙のために。

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功利主義的な考え

  サノスの考えは「最大多数の最大幸福」を追求する功利主義的なものだと言えます。

 この考えは、ジェレミーベンサムが提唱した「最大幸福原理*2」に基づく物事の考え方の1つです。この考えを簡単に言うと、社会全体の「効用」を追求する考え方です。

 「効用」というのは、人が感じる快楽や幸福に関わるものの総称と考えてもらって問題ありません。そして功利主義的視点で物事を考えるとき、1つの行動がもたらす「効用」と「不幸」の総和を計算し、残った幸福の多い行動が最善と判断します。サノスの考えはこれに非常に近しいです。

 全ての生命を半分にすることで、消える者は突然の死に驚き、残された者達は大いに悲しむでしょう。ですが、その先に訪れる、あらゆる資源を求める戦いがなく平和な世界を享受することで得る幸福、次に生まれてくる世代が享受する平和な世界。

 他方、サノスが何も行動を起こさず人口が増え続けた場合、限られた資源を求めてやがて争いが勃発し多くの生命が貧困にあえぐことになるであろう世界。

 これらを天秤にかけた結果、前者の方が効用が高まると判断して、サノスは全宇宙の生命を半分にするという大胆な行動を起こしたのかもしれません。

 

2つの正義

 使い古された議論ですが正義とは相対的なものです。絶対的な正義というものは存在しません。MCUでもアベンジャーズの考える正義とサノスの考える正義は異なっています。

 アベンジャーズの正義とは、地球の平和。外部からの不当な干渉を良しとしません。一方でサノスの正義は、宇宙の平和。全ての生命を半分にして宇宙全体のバランスを保つことで、残された生命が物質的不自由のない生活を過ごすことが正しいのだと考えています。

 

 この二つの正義は相容れません。アベンジャーズは人類の平和を、自己決定権を守るために、サノスの正義と対することになります。

 

 どちらの言い分も理解できます。アベンジャーズからすれば、地球に全く関係のない赤の他人が突然人類を半分にすると言ってくる。それを「はい、そうですか」と受け入れることなどアベンジャーズにはできません。サノスからすれば、今は問題ないかもしれないが宇宙全体で考えると自然の摂理として物質的な限界が訪れ、崩壊する。そうなる前に生命の数を半数にして宇宙のバランスを保つ。それを邪魔するアベンジャーズは排除しなければならない。

 アベンジャーズ側の正義観を支持する人はサノスの正義観を、余計なお節介と捉えるかもしれません。一方、サノスの正義観を支持する人は、アベンジャーズの正義観を自分本位だと考えるかもしれません。

 どちらが正しいのかと言えば、アベンジャーズ側の正義が正しいという人の方が多いでしょう。それでは、サノスの正義は間違っているのでしょうか?

 そうではありません。サノスの正義も捉え方が変われば正しいのです。

 

 サノスの正義観を批判する人は、おそらく、『生命の半分を消す』という点がネックになっているのでしょう。確かに字面だけ見ると物騒です。ですが、よく見てみるとそこにはサノスなりの考えと慈悲が含まれています。IWでサノスは、自身のストーンによる虐殺行為を慈悲だと称しています。彼の言う通り、ストーンによる殺害は彼なりの優しさなのです。

 普通悪役が誰かを殺すときは、大抵相手が死ぬ直前まで苦しめてから殺します。悪役は殺すことを目的としているのですから当然です。ですが、サノスは殺害行為を行うにしても楽しむことはせず事務的に淡々と行います。ストーンを使った時も、消えゆく人々は驚きの表情を見せはしても苦痛に顔を歪ませることはありませんでした。苦痛のない死。それは彼の宣言通り、犠牲へのせめてもの慈悲なのです。

 同じような虐殺行為でも、聖書における「ノアの大洪水*3」と比べればはるかに慈悲深いです。あれで死んだ生命はほぼ溺死なので死に方としては最悪です。神ですらそんなえげつない方法で虐殺を行うんですから、サノスは神よりも慈悲深いです。

 苦痛がなければ虐殺行為が許容されるのか? そうはいいません。ただ、意味のある虐殺なら一考の余地はあります。虐殺というのは表現がよろしくないので「犠牲」とします。時には犠牲が許容される場合も存在します。

 有名な例としては「ミニョネット号事件*4」というものがあります。この事件では、究極の飢餓状態に陥り死に瀕した人が、他人を殺害して生き延びたというものです。この例では、世論が無罪を支持したことで刑は軽くなりました。

 この出来事を踏まえて、サノスの行いをもう一度見ると状況はよく似ています。違いと言えば、極限状態がまた訪れていない事と規模が極大だということです。ですがそれだけで、ミニョネット号事件での犠牲は許せて、サノスの犠牲は許せないということがあるでしょうか? 僕にはどちらも同じに思えます。

 また、分け隔てなく平等というのも重要です。差別することなくサノスは無作為に生命を半分にしました。これは敵対者であるアベンジャーズですらも、公平に半分にしました。正義において差別は忌むべきものなのです。

 

  こうしてサノスの正義を重点に考えていると、アベンジャーズの正義が自分勝手なものに思えて来てしまいます。

 アベンジャーズは、地球の事だけで精一杯。悪く言うと、他の惑星のことは大して考えていないのです。仮に、サノスの行動が地球に影響を及ぼさなければ、アベンジャーズがサノスを敵とすることはなかったのでなかったのではないでしょうか。かなり暴論ではありますが、自分たちに被害がなければそれでよしなんです。アベンジャーズは、地球のヒーローなのだから。

 このことはエンドゲームでも言及されています。残されたヒーローは地球のことを考えていますが、キャプテン・マーベルなど他の惑星を知る面々は他の惑星のことも気にかけています。つまるところ、人の判断基準は自分の関与する範囲で決まってくるんです。

 

 サノスの正義が余計なお節介と言われればその通りですが、己を犠牲にして見知らぬ惑星のことまで憂うことができるのはヒーローの素質に十分だと言えます。他のヒーローにそんなことができるでしょうか? 全く見知らぬ人のために、愛する人を犠牲にしてまで行動することができるでしょうか?

  サノスによって失われる命は多いでしょう。ですが、その一方で救われる命もあるのです。宇宙全体にとってみれば、サノスは誰よりもヒーローなのです。

 

 

 

 

以下、エンドゲームに関するネタバレに注意

 

 

 

エンドゲームにおけるサノス(重大なネタバレを含みます)

 エンドゲームでサノスは自らの考えに修正を加えました。生命を半分にしただけでは、アベンジャーズの様に過去を知る不穏分子が抵抗してくる。その解決策としてサノスは「宇宙全体を原子レベルまで破壊して、新たな宇宙を創造する」という考えに至りました。

 また、同時にサノスはそこで個人的な感情を露わにします。「抵抗する地球勢力を滅ぼす際には存分に楽しまさせてもらう」と。ここで初めて、殺戮を自分のために行うと宣言したのです。

 最初その発言を聞いた僕は、サノスに失望しました。徹底的に私欲を排除して宇宙のために動いてきたサノスが、自分のために虐殺を行うなんて、と。しかし、2度3度と繰り返して見ると少しずつサノスの考えが分かってきました。

 エンドゲームの序盤、大義をなしたサノスは自然に囲まれた農園で、ボロボロの体をいたわるように穏やかな生活を送っていました。そこに現れた復讐に燃えるアベンジャーズ。彼らを前にして、サノスは大した抵抗を見せずに殺されました。大義を成したサノスにとって、もはや自分の死は問題ではなかったのです。

 その後ネビュラを通して、未来を知った過去のサノスは再び地球に降り立ちます。未来を知ったサノスは、生命を半分にするだけでは不十分だと悟り、宇宙全体をゼロから作り直すことに。そこで先ほどの「虐殺を楽しませてもらう」発言をしました。

 しかし考えて見ればそれは何らおかしな事ではありません。これまで何年もの歳月と労力を費やし、さらには最愛の娘すらを犠牲にして作った平和を狭義の正義観で崩壊させられた。その本人達を倒して、達成感という個人的な快楽を得ることを非難できるでしょうか。これまで己を犠牲にしてきたサノスが、最後に少しだけ個人的な快楽のために行動して悪いのでしょうか。そのように考えれば、サノスのあの発言も人間的感覚でおかしな事ではありません。

 ただ、宇宙全体を一度ゼロにするという考えは想像するのに難いため、なかなか受け入れられるものではありません。それでも、宇宙のためという信念にかわりはありません。最後に消えることになる間際のサノス。彼は何も言わずに消えていきました。消える間際に何を思っていたのか……

 

 

 

おわりに

 IWを見てサノスに感じた違和感を自分にできる範囲で言語化してみました。少しサノスに傾倒した感じになってしまいましたが、語り尽くされた正義より、少数の正義について考える方が楽しいです。

 サノスもヒーローだと考えてIWを見ると、シビルウォーと同じく正義VS正義が主軸に置かれている作品だと考えることができます。正義同士の衝突は、純粋悪との衝突より考えることが多くて見ていて楽しいです。